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『見えぬもの、とは』

最近、『見えぬものこそ』というコピーが心に響いていて、とても気に入っています。

映画『ゲド戦記』、アニメーションの大家であるお父様譲りの作風かと思いきや、何と、大事にしているのは映像よりも“会話”であり、“言葉”である、のだそうです。確かに、映画の世界ですから「観る」「見える」は前提であり基本である筈。にもかかわらず、『見えぬもの』にスポットを当てています。目に見えるもの、形や姿になっているもの、表象の奥にある何かが大事である、そんなメッセージ性を勝手ながら感じ取ります。
思い起こすのは、昨年『愛・地球博』でのジブリ・パビリオンのスタッフメンバー・トレーニングに携わった時にお会いした宮崎吾朗氏。“熱くも冷静で、理に沿う説得力で語る方”という第一印象で、当時の出展“サツキとメイの家”について、掲げるテーマや意図など、その思いを心の根底からの深いメッセージとして真剣に語り伝えられていました。
 
氏の第一回監督となる本作の中では、「物語内での魔法へのすがり」 と 「実社会での科学への依存」
の重ね合わせが窺えます。プロデューサー氏曰く、「使い方を間違えると何かが起こる。これは戦争も同様。」とのこと。原作では、「いつか死ぬ、という事を知っているのは人間だけ。これは天からの贈り物。」とあるそうです。
終わりある事を知っている、ということ。これは、「今すべき事が、いかに大切か。今を生きることがいかに大事なことか。」 ということでしょうか。 “今の自分”と向き合う事の大切さ、が伝わり、そんなメッセージにふと目を閉じて、見えぬものこそに向けて感受し、思いを馳せてみたくなります。
 
私たちの毎日の中で、その場には現れていないもの、形には表れていないもの、たくさんあります。
これまでの積み重ね、遠い過去から今日、今に至るもの、見えぬものこそ心を向けてみたいものです。
 
あと数日で、61度目の終戦記念日を迎えます。

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