『最近は大人の観るテレビ番組が極端に少なくなった。』 キッパリと強い口調のこれは、脚本家・橋田寿賀子氏が先日何かの対談で仰っていた言葉だ。氏は、真顔でこう言い、単に評論的な話ではなく、また、自分の関係する世界だからという訳でもなく、世間や社会への影響や日本の文化そのものへの危惧、将来への危機感すら含めた話であった。とても率直で、それは提言であり、警鐘でもある、そう伝わってくる。非常に印象的で、心に残る全くその通りだと痛感した。
『どこのチャンネルでも同じような人が、同じような事をしている。』とのコメントにも同感の思いがした。最近、大半が“楽しい”“笑える”といった事ばかりの先行であり、表面的で、その中身は何なのだろうか、と。やはり、いつの時代であっても、相応の意味や価値、つまり“質”、本物の“質”を求めたい。良質、上質なものを提供するか否かは、提供する側の抱く“目的”次第。何の為にするのか?何を手にしたくてするのか?ということ。
以前、友人達とテレビ番組放送の話になった時、TBSで働く古くからの友は、『ウチはテレビ局の中でも、しっかりと放送している方だと思う。しかし、もっとしっかりとしなきゃ。』と言っていた。その言葉通りに尽力してくれるのならば頼もしいものだ。私見だが、確かにTBSはドラマであれ報道であれ、硬軟のバランスと深い意味の提供をしているのが伝わってくるように思える。(彼の局、週末朝の報道と「渇!」も、視点と切り口に正統性を大いに感ずる。)
『大人の観る番組が無い』ということは、『中高生や学生にとっても“観ると良い番組”がない』、つまりは、『子供にもためにならない』・・・と言えないだろうか。しかし、そもそもTVビジネスの目的性のひとつは収益、すなわち視聴率に依存する訳で、視聴者側が何を求めていくのか?に、この課題と問題の源流を見る必要があろう。TV番組の質を決めているのは視聴者、世間、社会、つまり私達である。